ブッカー賞受賞作のイギリス純文学「終わりの感覚」を読んだ感想
イギリスの文学賞であるブッカー賞を受賞した「終わりの感覚」ジュリアン・バーンズ (著)という小説を読みました。
今まで、純文学と大衆文学の違いがいまいちわからなかったのですが、この小説を読んでなんとなく純文学というジャンルがどういうものなのかわかった気がします。
こころ/夏目漱石を連想
読んでいて、夏目漱石の「こころ」を連想しました。「こころ」は教科書にも載っていて、学生時代に一度自習の時間に課題として読むことがあったのですが、自習の時間というものは決まって騒がしくなってしまうものなのですが、このときはみんな「こころ」の世界に引き込まれたかのように夢中になって集中して読んでいました。休み時間になっても読むのがやめられず、次の授業の時間にも読み続ける人がいたり...
偉大なる作品にクラス全員が魅了されたわけですが、「終わりの感覚」も似たような雰囲気を感じ、世界観に引き込まれて読むのがやめられなくなりました。
心に響いたセリフ
「あなたはまだわかっていない。
わかったためしかないし、これからもそう。
わかろうとするのをもうやめて。」作中より
主人公目線で読んでいる読者である自分に向かって言われているような気持ちになりました。
この物語は主人公の記憶が重要な鍵なのですが、主人公目線で読み進めていき、いろいろな謎が解けて終わり。という都合のいい展開にはなりません。
主人公の目線からわかることが全てではなく、RPGでいう「村人A」的な人にもそれぞれに主人公と同じように人生があるということが、物語を通して伝わってきました。
現実では当たり前のことなのですが、小説のなかでもこういったことを表現してしまうのはすごいと思いました。
翻訳が読みやすい
海外小説で純文学となると、とても難しくて読みづらいイメージがありますが、この小説はとても読みやすかったです。
翻訳者はカズオ・イシグロの「日の名残り」「私を離さないで」などの翻訳も手がけている「土屋政雄」という方です。
土屋政雄の翻訳した小説はどれもとても読みやすい印象がありますので、逆に翻訳者から海外小説を探してみるのも手かもしれません。